というか。
今日は9日
書きたいことというか
書くことは幾らでもあるんだけど
というか
常に色んなこと考えてるから
それを文字に起こすだけでいいんだろうけど
あまりに沈黙が長かったもので
文章も長くなるし
まとまりもなくなるし
徐々に慣れていけばいいな
毎日何回でも書けそう
すでにどこかで誰かが言ってたような
何かの本で読んだような
そんなことばかりかも知れない
できるだけネタ元は把握して記したい
自分の思考とそれとを混同しないよう
ま いいか
これ書き終えたら眠って
4時半に起きて
6時半に家出て
7時から仕事
前置きはいらないか
やっちゃえばいいね
というか
はよ寝よ
なぜだろうね。
今年が一週間過ぎようとしている
昨日の深夜に
姉からメールが来てたの
今朝気付いた
父の退院が月曜に決まったらしい
父が入院して手術を受けると聞いた時
意外と凹んだりショックを受けたりはしなかった
一昨年だったか
もう今後何があっても動じないだろうって
免疫的なものがついたから
免疫的 ってちょっと違う気もするけど
ちょうどその頃
私は好きな人がいて
仲良くなれたけど結局振られたんだった
これは関係ない
普段から本はよく読むんだけど
その頃よく読んでたのがこのシリーズ
生きがいの本質 私たちは、なぜ生きているのか (PHP文庫)
- 作者: 飯田史彦
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2016/12/02
- メディア: Kindle版
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死後の世界というか
スピリチュアルに関心を持ってる時期だった
私は死ぬこと自体はいいのだけど
病気とか怪我なんかで
痛みや苦しみを長く味わうのは嫌だし
死ぬことが
必ずしも悲しいことではないと思う
今死んでも構わない
出来ればポックリ逝って
「おーとさん、ポックリって言葉がぴったりに死んだね」
「ポックリぴったりw」
みたいに愉快な感じで受け止められたい
何を書くつもりだったか
分からなくなってきた
これらの本の内容を
宗教的に信じてるわけじゃないけど
否定する気もないし
興味深く引き込まれて読んだ
生まれたら死ぬことも決まっている
それを無駄に恐れる人って結構いるし
逆にさっさと死のうとする人も結構いる
「死にたい」と言ってるだけの人は
死にたいわけじゃなく
どうしたらいいのか分からないっぽい
死んだら宇宙の一部に還って
魂のようなものとして存在し
過去を忘れて
新しく生まれ来る胎児の中へ入る
肉体は物体的処分され
地球の一部に還る
って感じで私は思っている
今こうしてブログを書いている私としての存在は
ほんの一部で
どんどんリサイクルされてくのかな
うまく言葉を選べないや
それにしても父と母は
退院後どんな風に過ごしていくんだろう
私は病院が苦手だから
できるだけ近づかないようにしてる
歯科と眼科くらいかな
仕事がだいぶ飽きてきて
どうでもいいことを考え出したらしい
何もしないって難しいね
生まれて嬉しかったはずなんだけどな
あってないようなもの。
いつ頃からだっけか
日配担当者が消費期限切れの商品を
毎日くれるようになった
始めの頃は
ありがたくいただいて喜んでた
パンとかヨーグルトとか
ピザとかうどんとかケーキとか色々
期限が過ぎて販売できず
廃棄処分する商品たち
この店だけで毎日こんなに
私が受け取る以外にも廃棄商品がいっぱいある
お金を儲けるためには作られただろうし
仕入れただろうけど
捨てるために作るわけじゃなかろう
捨てるために仕入れたわけじゃなかろう
売れないものは
仕入れるのさっさとやめたいな
私は事務員だけど
長持ちするだけで
栄養も美味しさもない食べ物が
なくなるといいな
ここんところは
受け取った食べ物を消費しきれず
冷蔵庫がいっぱいになってきた
そもそも私はあんまりお腹が空かない
私には私の食べたい物がある
タダで貰えて得だと思ってたけど
今はもう
お金を出して自分の求めるものを手に入れたい
何にしても
他人から勧められたものとか
もらったものって
あんまり関心がないかも知れない
最初はもの自体に関心は行くけど
だんだんと
それを勧めたりくれたりする人が
面倒になってくる
ほとんどの人が
意識しているしていないに関係なく
何かしらの
見返りを求めているから
勧められたりくれたりする時に
「それいらねー」って言えない相手からは
出来るだけ受け取りたくないし
勧めたりあげたりする時に
モンヤリした気持ちになる相手には
出来るだけ何もしないでいたい
日配担当者は仕事で関わるし
勝手に気を遣ってるだけっぽいから
愛想よく受け取ることにしている
これで仕事がスムーズになるのなら
今日は蕎麦(多分年越し用)と
フルーツタルトとヨーグルトと大福をもらった
蕎麦についてた七味が
爽やかな辛味で美味しかった
普通ゴミの日は月曜と木曜
タイミングよく
要らないものはガッツリ捨てていこう
どこまでも必要とされないものが
なくなるといいな
必要じゃないものは
眺めるだけで居られたらいいな
賞味期限って
あってないようなもんだなって
つくづく思う
賞味期限と消費期限って違うんだよね
そんなのも
あってないようなもんだよね
なんとでもなる。
今日は仕事始め
数ヶ月前に転勤してきて
丸一日の休みなく働き続けた店長は
やっと休みなのに
朝から電話した私
開店までに必要なことだったし
誰も分からなかったし
丸一日休まなかったのは
店長の意思だったし
結果出来たからよし
私は一時間早く出勤して
一時間半残業したしよし
お客さんはみんなまだまだ正月気分だろうし
浮かれて食べ物もいっぱいあるだろうし
お店は静かで心地よい
帰りに見た空は
シャシャシャーってなってた
空っていつ見ても違うよね
何度見ても飽きないよね
郵便受けに年賀状が二枚入ってた
元旦に一枚届いてたから
合計三枚
そもそも友達は少ないし
こまめに連絡も取らなければ会うこともない
ずっと前から
年賀状をくれた人にだけ
何かしら返している
みんな家族とか子供の写真入りの
裏表印刷年賀状で
隅っこに小さく直筆でメッセージが書いてある
みんな元気なの知ってるし
面倒なら出さなくていいんじゃない と思う
ずっと年賀葉書をくれる人は同じ
毎年携帯で年賀メールをくれる人もいる
何にしろ
気に留めてくれるってありがたいことだな と
思い直した
カレンダーはまだ買ってない
amazonで月の暦のカレンダーを検索したけど
これだと思ったものは売り切れてた
そうだよね
今年はカレンダー無しで
毎日を毎日確認して過ごしていこう
過去とか未来とか気にせず
今だけで過ごしていこう
っつっても
職場のそこらじゅうに貼ってある
なんとでもなるな
何もしない。
2017年の元旦は地元へ帰っていた
2日には戻って
仕事は4日 つまり今日まで休みなんだけど
昨日も今日も
ずっと部屋にいてYoutubeの動画を眺めていた
今も動画を一旦停止してこれを書いている
毎年何故か
年明けに張り切って今年の目標みたいなものを
何となく決めるのだけど
例えば
部屋にこもってないで外出する とか
シンプルな部屋にする とか
常々何となく思っていたようなことばっかりで
半年も経たないうちに忘れ去っていって
まるで記憶形状のように
型にはまった生活に戻っていく
なのでもう
何もしないことに決めた
今年は
何も目標を決めない と決めた
結局は 決めない なんてことはないんだと思うし
ただ生きていけばいいんだろう
今の状態が自分のしたいことなのだろう
どんな出来事も どんな感情も
それはただそれだけで
自分の意思次第で 無限の可能性を生み出せる
生み出せなくとも
それはただそれだけ
何をしてもしなくても
そのままで十分だと
本当はみんな知っているし
知らなくとも生きていける
生きていけなくても ただそれだけ
適度に動いて
お腹が空いたら食べたいもの食べて
寒けりゃ服を重ねて
そんな感じ
ルパン三世とか はじめしゃちょーをよく見てます
あとは音楽
ロボットとかドッキリが好き
それにしても
こたつは暑くなるから
電源切ったり入れたり
ぐうたらするだけでも忙しい
無駄な罪悪感は捨てよう
何もしない